「熊野詣が結ぶ」イベント詳細

2014.11.30(日)イベント開催!※このイベントは終了しました。
熊野詣が結ぶ、京都・大阪・熊野~落語「熊野詣」と 熊野曼荼羅の絵解き口演会

その昔、熊野参詣をする人達は京都から船で下り、渡辺津(大阪・後の八軒家浜)で上陸し、熊野に向かいました。このたび世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」登録十周年を記念して、熊野詣に縁の地である京都・城南宮と大阪・八軒家浜にて熊野亭雲助による落語と、熊野曼荼羅を使った熊野信仰の解説を行ないます。
千二百年以上にわたり、神秘性を残す熊野の山岳霊場と参詣道。熊野をこよなく愛する二人の口演で、その信仰を楽しく、分かりやすくお伝えします。

今熊野比丘尼氏 熊野亭雲助氏1 
熊野イベントチラシ表 熊野イベントチラシ裏

◆日程/2014年11月30日(日)
◆場所など

京都会場)城南宮(定員110名)10時~12時
京都市伏見区中島鳥羽離宮町7
(京阪「中書島駅」からバス「城南宮」下車すぐ、または 「城南宮東口」下車、西へ徒歩約5分)
大阪会場)川の駅はちけんや(B1F)(定員50名)15時~17時
大阪市中央区北浜東1-2(京阪・市営地下鉄「天満橋駅」下車、西へすぐ)
※大阪会場(川の駅はちけんや)にご参加の場合、ワンドリンク注文のご協力をお願いします
◆参加費/無料 ◆申込方法/事前申し込み制・先着順

主催/八軒家プロジェクト
協賛/熊野三山協議会
協力/城南宮、大阪府、京阪電気鉄道株式会社、大阪水上バス株式会社
  

口演内容・口演者プロフィール

※このイベントは終了しました

熊野亭雲助氏2

◆熊野亭雲助による創作落語「熊野詣」
 
熊野亭雲助(ゆやていくもすけ)
鈴木俊朗
和歌山県新宮市生まれ。立命館大学文学部(落語研究会)卒業後、数年の放浪を経て何かの間違いで新宮市役所へ。現在は、これまた何かの手違いで経済観光部長を拝命中。

熊野が世界遺産登録を受けてから、今年ではや10周年。ともすれば難しく語られがちな熊野(熊野信仰)の世界を庶民目線で捉えていただこうと、故五代目桂文枝師匠に依頼し、世に送りだしていただいたのがこの作品。当日は、アマチュアの噺家・熊野亭雲助が、師匠譲りの高座を務めます。

今熊野比丘尼氏2

◆今熊野比丘尼による熊野曼荼羅絵解
今熊野比丘尼(いまくまのびくに)
山本殖生
和歌山県新宮市生まれ。和歌山・新宮市の文化財担当(学芸員)として長年熊野信仰の調査研究に携わり、退職後も熊野三山協議会幹事など熊野に関わる要職を兼ね、精力的に講演や執筆活動をこなす。近著に『熊野 八咫烏』(原書房2012年12月)他

戦国時代から熊野三山の修復資金を集めるため、全国各地で絵解き勧進を行った熊野比丘尼。
当日は、熊野比丘尼に扮した今熊野比丘尼が「熊野観心十界図」(地獄・極楽図)と、熊野那智の聖地案内図の「那智参詣曼荼羅」を楽し絵解きし、霊場熊野の魅力を発信します。

熊野詣が結ぶ、京都・大阪・和歌山

古より神々の住む地とされた聖地「熊野」は、自然信仰を原点とし、日本人の精神文化に大きな影響を与えてきました。長く険しい山々を縫う熊野古道・熊野三山へと結ぶ道のりを、人々は「現世と来世の救い」を祈りながら歩きました。
十五世紀頃には「蟻の熊野詣」と言われるほど、参詣が盛んになりました。白河上皇や鳥羽上皇は鳥羽離宮(現在の京都・城南宮あたり)で身を清め、道中の無事を祈願した後、京を出立。淀川を船で下り、当時「渡辺津(わたなべのつ)」と呼ばれていた大阪の天神橋のあたりから上陸して、熊野詣をしていたそうです。
江戸時代には「八軒家」と呼ばれるようになった渡辺津は熊野古道の起点として、また水陸交通のターミナルとして、たいへんな賑わいを見せたと伝えられます。
その後、一旦埋め立てられた八軒家浜でしたが、平成22年水都大阪の拠点として再整備されました。天神橋南東には、熊野古道の起点であることを示す記念碑が地元町会から寄贈され、また、天満橋の川の駅はちけんや前には地元の篤志家の方の寄贈により江戸時代に夜の乗下船時の安全のためにあった灯籠が復刻されています。